御府内八十八ヶ所第十二番札所、関東三十六不動霊場第十五番札所

宝仙寺について

宝仙寺の歴史

三重塔

本堂

御影堂

『武州多摩郡中野明王山聖無動院宝仙寺縁起』によると、宝仙寺は 平安後期の寛治年間(1087〜94)源義家によって創建されました。

このとき義家は、奥州・後三年の役を平定して凱旋帰京の途中にあり陣中に護持していた不動明王像を安置するための一寺を建立したのでした。

その地は 父頼義がかつて祭祀した八幡社のある阿佐ヶ谷の地でこの造寺竣成の時、地主稲荷の神が出現して義家に一顆の珠を与え「この珠は希世之珍 宝中之仙である是を以って鎭となさば 則ち武運長久 法燈永く明かならん」と言いおわるや白狐となって去りました。
これにより山号を明王山、寺号を宝仙寺と号したと伝えられます。

また、鎌倉時代には相模国大山寺の高僧願行上人が当寺を訪ねられ、本尊の不動明王像をご覧になってその霊貌の凡常でないことに驚かれ、あやまって尊像を穢してはいけないと厨子の奥深くに秘蔵せられました。
平素の拝礼には別の不動明王像を刻してこれに当てさせました。

その後、室町時代には当寺中興第一世聖永が現在の地に寺基を遷しました。
江戸初期の寛永13年(1636)には三重塔が建立され、江戸庶民にも親しまれ歴代将軍の尊崇もあつく御鷹狩りの休憩所としても有名でした。

宝仙寺の大伽藍は昭和20年の戦禍により焼失。 現在の伽藍は昭和23年より順次復旧したものです。